こんにちはケルンです。
数日前のことになりますが、日本のミュージックシーンを代表するスーパードラマー、村上“ポンタ“秀一さんが亡くなりました。
【May his soul rest in peace : Mr. Shuichi “PONTA” Murakami (1951-2021)】ドラマー、村上“ポンタ“秀一氏の訃報に接し、心よりお悔やみを申し上げます。コットンクラブでは、2017年10月の公演が最後の出演となりました。コットンクラブ pic.twitter.com/9qc7EoEskU
— COTTON CLUB (@cottonclubjapan) 2021年3月15日
バンドなどで音楽演奏を演られる方には物凄い衝撃だったと思います。
ワタシもその中の1人です。
村上“ポンタ”秀一氏(以下 ポンタさん)を多くの方が一番目にしているのは、 「堂本兄弟」のバックバンドでしょうか。。
1997年の春、就職した当初に1週間だけの東京住まい期間があったのですが、
その時にどうしても東京で音楽に触れたくて、1人で六本木PIT INNにライブを見に行きました。
その時に衝撃を受けたのが、近藤房之助とポンタさんでした。
当日のライブは、80年代から90年代の矢野顕子サポートギタリストも務めた(故)大村憲司を観るのが目的でした。
その時のバンドメンバーにポンタさんも、近藤房之助もいました。
近藤房之助について書くのは、なにかの機会にするとして、、。
ポンタさん!
薄めの色付きサングラスに、短いシルバーヘアー、恰幅と迫力がある容姿のおじさんドラマーは舞台袖からヒグマのように悠然と現れて、
「ダン ダダダダン」と軽く音出しをしたかと思えば、鳥肌が立つようなスティックのカウントをスタートに、ズシンと響く重くて繊細なビートを叩き続けてくれました。
当時大学を卒業したばかりで、
ヤンエグ(死語)シティライフ(死語2)を目指していたワタシの頭は、脳内ドーパミンに満たされて、
まるでドラッグ(タバコすら吸った事ないw)をキメタように恍惚とした感覚に満たされました。
このような幸せな体験ができたことを思い出すと、ブログを書きながらも鳥肌が立つのを抑えることができません。
ワタシの北海道、大学時代の友人が札幌でプロミュージシャンとして活躍しています。
彼女は2019年にポンタさんと共演するというとんでもない機会を得ています。
彼女もポンタさんの訃報にふれて、共演当時、緊張で我を失ったと綴っていました。
ドラマーというと有名なのは誰でしょうか?
屋敷豪太でも、なかなか知られていないでしょう。
マスメディアにおいてピンで取り上げられるドラマーは少ないように思います。
ポンタさんは、ほんとうに色々な楽曲でドラムを叩いています。
ウィキの貼り付けですが、ぜひディスコグラフィーを見てみてください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/村上秀一
長くなりました。
本日は不動産の話は全くありませんでしたが、音楽もワタシのライフワークなのでご容赦ください。