こんにちはケルンです。
極東船長さんのインタビューに引き続き、赤井誠先生のインタビューも、まとめ記事を作成させていただきました。
こちらの記事をお読みいただけた皆様には、読んだだけで理解されたお気持ちにならず、ご自分の耳でインタビューを聴かれることを強くおススメします。
それでは!
- 今回のまとめ記事趣旨
- 赤井先生とはどのような人物?
- 赤井先生の生い立ち
- 大学生時代の赤井先生
- 大学院時代と就職、そして現在
- 車購入のエピソードと、個人・法人の関係について
- 福岡の購入物件と、仙台の購入物件の運営経験について
- 大家業とご家族、クリーニング屋を運営された話
- コロナウィルスの影響
- ツトメ人仕事について
- ツトメ人を辞められた経緯とツライご経験について
- 理想の暮らし方
- 赤井先生がいまから初めて不動産を始めるのであれば、どんな投資をするか
- インタビューの最後にメッセージ
- ワタシのまとめ
今回のまとめ記事趣旨
上述のように、加藤先生の赤井先生インタビューについては、11年前のモノを既に拝聴しておりました。ですから、改めてどのようなインタビュー内容になるのだろうと思いながらnote音源を購入しました。
赤井先生の購入、運営されてきた物件については、11年前のインタビューでかなり詳細のお話しをされているからです。
その疑問は、ある意味衝撃的に打ち砕かれました。
今回のインタビューは、赤井先生のプライベートに大きく触れる内容でした。
ですから、ワタシの記事もインタビュー記録というよりは、
個人的な雑感を中心にまとめさせて頂く事とします。
一方、不動産物件の運営やコロナ禍に関する内容については、詳細をまとめます。
ご承知おきください。
赤井先生とはどのような人物?
サラリーマン大家のアイドルこと赤井誠先生。
国立大学の理系大学院を卒業され、有名企業でツトメ人として活躍される一方、40代より不動産投資を始められる。
7年前にツトメ人を卒業。専業大家に。
御年、今年60歳。
ワタシが個人的に上場企業のサラリーマン大家。札幌。国立大学というキーワードで大家を始める当初より、勝手にお慕い申し上げているお方です。
加藤先生によるインタビューについては、リーマンショック直後の2009年版がございます。必聴です!
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赤井先生の生い立ち
生まれは横浜。
3人兄弟の長男。5人家族。
お父様の関係で幼少期に札幌へ引っ越し。
その後小学校2年生の時に、再び横浜へ戻られる。
小学生の時は、当時の北海道と横浜の学力格差に悩まれた。
小学校4年生の時、ご家族は横浜内で再び引っ越しをされる。
転校された先の小学校の先生が良い方で、学力が増進。
私立中学を受験され、進学校へ進学される。
中学後半頃に大きな変化が有り、ご家族の皆さんは苦労して暮らされる事になる。
私立学校は学費が大きくかかるが、一生懸命努力され、授業料を免除されるまでになられる。
大学生時代の赤井先生
大学は北海道大学へご進学。
育ってこられた横浜から一度離れて、大学生活をすごしたかったとの事。(非常に共感します!ワタシも同じ思いでした。)
北の大地で逞しく鍛えられる。
学部時代はそこまで勉強をせず、パチンコ等で生計を立てるような生活。
ある時、英語の試験中に突如腱鞘炎が発症。
右手が震えて字が書けない。
こんな事の為に、大学に入ったのか。。強く反省され、すっぱりとパチンコより足を洗う。
赤井先生ご自身でも仰っておられますが、自分に厳しくなれるお方です。
大学院時代と就職、そして現在
北海道大学工学部、大学院に進学される。
(企業奨学金は、優秀な学生でないと受けられません!)
大学院では電気工学を専攻。
研究の傍ら、アルバイトではプログラミング能力を生かして、高報酬を獲得。
また北大生伝統?のすすきのバイトも経験される。
(こちらは2009年版インタビューにて詳細をお話されています)
就職について。
当時理系の学生は、企業にとって金の卵だった。
企業奨学金を受けていた先へ就職を決められたが、教授からは、もっと超大手に進むよう強く勧められた。
ご両親のお話。
特にお母様。驚くほどの働き者。
スーパーサラリーマン大家の赤井先生からしても、お母様の働きぶりには敵わない。
現在では、家賃収入1億円を超えているが浪費生活は好まれない。
使う金額はしれているとの事。
例えば、1人5000円の寿司を食べるのならば、吉野家10杯のほうが良いという感覚。
旅行も、やっと1人2万円位のホテルに泊まっても良いように思えてきた。
キラキラ大家には共感できない。
車購入のエピソードと、個人・法人の関係について
レクサスNX購入検討での残念なご経験。
半年以上、納車を待たれたのにも関わらず、ディーラーの営業担当者が、個人・法人の名義登録を間違える失態をおこしてしまう。
そのままでは、任意保険の保険等級が大きく異なることになってしまうので、登録のし直しを求めたが、営業マンが個人的に誤魔化そうとしたり、レクサスのディーラー自体も誠意ある態度でその失敗の補填をしようとしなかった。
結局は、他の営業マンの勧めでハリアーを購入。今度は営業マンがとても良かった。
任意保険の取り扱いにおける、法人・個人の関係について大変勉強になるお話をされています!お聞き逃しなく。
CSはやはり人がキーポイント。
管理会社、不動産屋も同じ。
赤井先生が大家スタート時に委託されていた、福岡の管理業者は最悪だった。
(こちらのエピソードは2009年版にて詳細をお話されています)
(また、ワタシのキロクには詳細を記録しています。こちらは承認制です。)
福岡の購入物件と、仙台の購入物件の運営経験について
不動産投資を始めたほぼ同時期に、福岡と仙台で物件を購入運営開始されたので、福岡の不動産業者と、仙台の不動産業者の2つを比べる事が出来た。
福岡と仙台では、同じような価格の物件、同程度の借入額なのに、手残り金額が全く違う。
同時期に違う物件を所有して、かなり勉強になった。
(ワタシも赤井先生と似ていて、首都圏在住で複数の地方AP,MSを運営していますので大変共感致しました)
仙台へは、金曜夜からSLKで小旅行感覚の出張。
奥様との協業。当時の愉しみ。
(この点も大変共感します。ワタシも、京都や北海道への出張が楽しみです)
福岡へは飛行機移動となるため、持って行ける荷物の関係で。DIY大家作業には向かない。
赤井先生は良く働く大家だ、と言われたが、
自分がスーパーマンであるならば、お母様はそれを超越される人という思い。
大家業とご家族、クリーニング屋を運営された話
ご家族のお話。息子さんの養育で苦労される。
そのような中で、
家業があればなんとかなる。子供に残してあげられると考えた。
(この点も、とても共感しました。ワタシも子供が大人や、親となった時の為に不動産経営をさせてあげたいと考えています)
クリーニング屋を買収経営されたエピソード。
5年前位に、所有物件の隣地のクリーニング屋併用建物を購入。
老夫婦が経営されていた。
購入後は、次男さんが一日14時間働きながらクリーニング屋を運営された。
しかし必死の努力にもかかわらず、売り上げはなかなか伸びず廃業させることに。
残念なことにほぼ同時に近所のクリーニング屋も廃業した。もう少し廃業のタイミングが遅ければ良かったが、すでに廃業手続きを進めていた。残念。
ここまでのインタビューメモは下記リンクでご覧いただけます。
こちらはワタシからの許可制です。
https://docs.google.com/document/d/1_TYgfW05aGzOnxcnYdRj4UuhB4CloJS89X_DAvymBe8/edit?usp=sharing
コロナウィルスの影響
※※リーマンショック後の影響についてを2009年版インタビューで詳しくお話されています。ぜひ聴き比べる事をおススメします。※※
コロナ禍で赤井先生にも様々な影響が出ている。
①空室がなかなか決まらない。
②退去は(予定通り)進んでいってしまっている。
③幸いシェアハウスは埋まっているが、潜在的に集団生活に対する懸念があるので迅速にできる対策をしている。
④札幌で計画していた民泊の計画変更。民泊需要が見込めず、民泊業者の見積もり金額が急激な低下。一般賃貸に変更した。
ex.民泊化で一部屋の改装費、機材導入が300万円。売上見込みが200万円/年。手残りが100万円/年。
⑤横浜の民泊化、資金投入するも需要が無くなってしまった。350万円程度のロス。
⑥海外所有物件への影響。
ハワイ物件2室。昨年1年間は高収益だったが、現在では売り上げが0に。ランニングコストの支払いでプールしていた運用益が無くなってきている状況。
タイ物件。7%で運用。400万円で購入。年一回記帳で訪問する経費扱いのメリット程度。
※※海外不動産経営の仕組みについて、ハワイ物件を通してかなり詳細にお話されています。必聴です。※※
赤井先生と加藤先生が考えるコロナについて。
結局、日本が一番安心、安全。
生活習慣。保険制度。
経済復興の見通しについて。
(世界各国と日本の比較についてが、お二人の話を通して良く整理することが出来ました。)
ツトメ人仕事について
理系の仕事は、完全なテレワーク化ができない。
億単位の機材を使用する。会社から仕事を持ち帰ることは、以前から全くできない。
ツトメ人を辞められた経緯とツライご経験について
ツトメ人を卒業して7年。サラリーマンの仕事は面白かった。
理系の仕事はやりがいがあり、好きな仕事だった。
特に現場でみんなを率いてやる仕事が好きだった。
あるタイミングから現場に出る仕事、研究ではなくなってしまった。
研究開発では、丸一日時間を忘れて仕事に没頭できたが、管理部署では時間の流れが苦痛でしかなかった。
だんだんと体調を崩してしまわれた。
その当時で家賃年収が6000万円から7000万円となっていた。
お金があってもサラリーマンを辞める気が全くなかったが、楽しい職場にいられなくなったことで、退職金よりも辞める事を選んだ。
仕事と未来に、全くやりがいを感じなくなってしまった。
ただお金をもらうだけに、会社にいる状態だと感じた。
現場に戻ることも出来ず、海外の研究所に行く訳にもいかなかった。
いい大学、いい会社、出世が成功だと思っていた。
不動産を始めてから、いろいろな人に会って、いろいろな生き方、成功が分かっていた。
サラリーマンを辞める瞬間は、特に何の気持ち(葛藤)もなくなっていた。
所詮サラリーマンは会社の看板を背負っていて、それが実力のように思っていた。最初は(看板がないことを)気にしていたが、1・2ヶ月経てば何も問題なかった。
赤井先生は、サラリーマンを辞める事を推奨する気持ちはない。
仕事をやっている中で、その仕事の愉しみを探してきた。
研究職でなくなってからは楽しみを見つけられなかった。
家族、子供への責任。
(仕事が変わっても責任を果たさないといけない事は変わらない)
理想の暮らし方
大橋巨泉は最大の理想。(早死にはしないように節制を)
自分のペースで働いて、ネットを利用してビジネスを行う。
息子さんとのワークシェアリング。理想的な状態になってきた。
ハワイと、夏は札幌でという生活。
(大共感! ワタシは札幌、京都、長野、自宅のノマドワークを追い求めています。そしてゆったりとしたバカンスの有る生活。)
奥様はまだ働いている。社会的にだれとも接触しないのは好まない。
自分で自由に(気兼ねなく)使えるお金を自分で作る。良い友達との交友。
楽しく生きることは一番大事な事。
現在の大家スタイル。
なるべく自主管理するほうがお金は残るが、手をかけることはなるべくしないようにしている。
自分がいなくても運営出来るようにするため。
加藤先生と、宮崎の話、田舎物件の話。
いろいろな考え方がある。やり方もある。生き方もある。
赤井先生がいまから初めて不動産を始めるのであれば、どんな投資をするか
前提。自己資金2000万円。東京在住。上場企業勤め。サラリーマンを継続。
A: 1億円程度、利回り8%位の新築APを購入。頭金20%。
新築のメリット。手間がかからない。入居率が高い。敷礼。AD少額。更新料が取れる。
ただし、立地と住戸面積の広さは重要。
ただし、赤井先生個人的には、今はお金を使わないようにしている。
ここ3年位で仕事の仕方が変わるはず。
大惨事が起きた時の対応の仕組みを、企業も作ってゆく。
不動産も買って終わりで良いのか、(今と同様の取り組みでよいか)今後は分からない。
オフィスの在り方、会議の行い方も変わるはず。
インタビューの最後にメッセージ
赤井先生のようになりたい人へ。(ワタシの事?w)
サラリーマンを辞める事を目標にしてはいけない。
サラリーマン仕事の中で、言いたいことをぶつけながら、辞めてもいいよで突っ込んでいく。
不動産の世界で楽しみと、新しい生き方を見つけられて、子供たちへの接し方も変わって良かったとしか思っていない。
(専業大家も)勇気が要る。
それでも過去と比べて考えれば、どんなことでも最高である。
仮に全部の資産が潰れても、今の世の中はいくられも生きてゆける。
100万円、200万で家に住めて、そこで生きていける。
年金で夫婦二人、一緒に生きていける。
しかし、
上昇志向を諦めているわけではない。
大金持ちよりも、楽しい人生。
ご自身は生き方が厳しく、自分にも、他人にも厳しい。人が寄ってこない。(だから)慕ってくれる人はプライスレス。
無理して何十億円の資産家になる必要はない。
インタビューの書き起こしその2
https://docs.google.com/document/d/1i2XriRqDjU5uLpDo1tWjRJ4TcxV-ZpodVAdArPnO-G8/edit?usp=sharing
閲覧は許可制です。
ワタシのまとめ
加藤先生が言っておられたように、前回のインタビューと、今回とで赤井先生の雰囲気が変わっておられました。
そして、赤裸々にご自身やご家族のお話をして下さり、またコロナ禍を含む不動産経営の苦しい一面の事も教えて頂き個人的には感慨を受けました。
赤井先生のプライベートに触れる内容です。
これは、予め赤井先生に、まとめ記事原稿を読んで頂かなければならないと思いました。
赤井先生はワタシより概ね15歳年上のスーパー大家さんです。
ワタシは現在、不動産経営は時間を味方につけて、出来るだけ上手に付き合っていく事が肝要だと思っています。
また、学歴や職歴、地歴において赤井先生とは(勝手に)共通点がございます。
今回のインタビューを通して、より一層ワタシにとってのケルンだと思いました。
つまり、今後の努力次第では赤井先生のようになれるはずですし、なれないかもしれません。
道に迷いそうな時、道が見えなくなった時、霧の中で見つけるケルン。それが赤井先生だと思っております。
今回も加藤先生のお力と、出張ホスト様のご尽力に心より感謝しております。
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